I.N.A.ちゃん日記 『Ja,Zoo』番外編その3
NOTE:0003 1999/01/11
最近『Ja,Zoo』に関しての質問が多々送られてくるので、この場でイッキに答えてしまおう!って事にしました。プロモ-ション活動(雑誌、ラジオ等)で何回か話してる事もありますが、まだ知らない人の為に.....

Q1.
DOUBT'97のイントロのセリフは?

A.
『ウルトラ爆音で聞いてみて下さい。』

うそつき..
(嘘つき....)
こっちの身にもなってよ~。
絶対嘘じゃん..
(そりゃあんまり期待してなかったけどさぁ。)
言われた通りにイイ子でいたじゃない...
俺が何したっていうのさぁ...
トゥルゥワ~~シュ!!!。

オマケ→最後のセリフ Don't tell me your lie. fuck you sir!!

***( )内は非常に小さく入れたので、絶対に聞こえないことが発覚しました。

I.N.A.ちゃん日記 『Ja,Zoo』番外編その2
NOTE:0003 1999/01/05
最近『Ja,Zoo』に関しての質問が多々送られてくるので、この場でイッキに答えてしまおう!って事にしました。プロモ-ション活動(雑誌、ラジオ等)で何回か話してる事もありますが、まだ知らない人の為に.....

Q1.
FISHのイントロでは誰がなんてしゃべってるんですか?
A.
98年4月上旬LAにJOEがドラムのレコ-ディングをしに来たときのこと。hideとの会話を録音してあって、後日I.N.A.がMACで編集して遊んでいたのをhideが聞き『なにこれ?かっこいいじゃん。使おう!。』....で採用されたのだ。(JOEスマン...。)
JOE『何したがってんだ?』
hide『わかんない.....タン.タン.タンッってアクセントが.....』
JOE『聞こえだい!(聞こえないの意)』
JOE『とりあえず、適当にやります。』

適当にやってあのドラミング。さすがパルテノンJOE....

Q2.
ever freeの前に入ってる短い曲って、ひょっとして『コギャル』ですか?
A.
あれは、97年10月hideとI.N.A.が『Ja,Zoo』の曲作りの為に合宿してた時に出来た曲で、タイトルはまだなく『memo4-RAP(仮)』となってました。

I.N.A.ちゃん日記 『Ja,Zoo』番外編その1
NOTE:0003 1999/01/05
最近『Ja,Zoo』に関しての質問が多々送られてくるので、この場でイッキに答えてしまおう!って事にしました。プロモ-ション活動(雑誌、ラジオ等)で何回か話してる事もありますが、まだ知らない人の為に.....

Q1.
私のCDデッキではCDのト-タルタイムが58分27秒なんですけど、これって私だけなんですか?。
Q2.
10曲目の後のピ-って音、なんか意味あるんですか?

A.
『Ja,Zoo』のト-タルタイムを設定する段階のとき(6月上旬レコ-ディング中)I.N.A.の頭ん中にひとつのアイデアが生まれた。1曲目『SPREAD BEAVER』のイントロは、MACのキ-ボ-ドをタイプしてインタ-ネットの世界に入っていく所から始まるんだけど、(←これはhideのアイデア)アルバムの締めはどうしようかなぁ?と考えた時、ある事を思い出した。hideちゃんのMACって5分おきくらいで、ネットに勝手に繋がるように設定してあって、ギタ-のレコ-ディング中とかも、本人使ってないのに突然ピ-ピ-なってたのだ。そこでI.N.A.ちゃん、これを再現してCDに入れたら、アルバムにト-タル感出せるかなぁと思った訳ですよ。しかも何回か再接続してアルバムの1曲目に戻るという...。そして、これを何回繰り返すかって時、またまたある事を思い出した。ピンクスパイダ-のシングル にever free,ever freeのシングル にピンクスパイダ-のCM的なものが入ってるの、みなさん知ってます?。シングルCDの3曲目5分数秒に各々のCMが入ってて、これってそれらのCD発売日に掛けてるんですよ。当時正確に発売日が決まってなかった『Ja,Zoo』に当てはまる日はないか?まっ先に思い付いたのが5月2日だった。10曲58分28秒のデジタル表記は10.58.28.になる。数字の8を月、日に見立てれば平成10年5月2日。彼の命日である。正直いって、この日をCDに残すのはどうか?と思いhideの御両親や弟の松本裕士にも相談した。『僕自身CDをかけた時この日が出てくるのは、確かに辛いです。でも、CDって物は、いつまでも持ってる物だと思うんです。今は辛くても、もっと未来10年15年20年たった時に、ファンの人達が彼の命日を忘れずに手を合わせてくれれば、僕は嬉しい。そして彼の供養にもなる。』それならば(涙)、という訳でト-タルタイムが決定したのです。

しかぁ~~~~し。CDのプレス工場に発注した段階では10曲58分28秒だったのに、なぜ?ぬぁぜ?WHY?人によって10曲58分27秒もしくは10曲58分29秒になってしまうのか?レコ-ド会社の人に調べてもらった結果、CDプレ-ヤ-によっては、ト-タルタイムが変わってしまうとの事。残念。

Tribal Ja,Zoo キャンぺ-ン編 その2
NOTE:0003 1998/12/12
in TOKIO 98年10月30日午後。大阪でのライブを終えて、東京へ戻って参りました。東京駅に着いたその足で読売新聞社にのりこんだのだ。社に到着すると、そこは高度成長期な世界。昭和40年代にタイムスリップしたような建物だった。(当時でいうモダンという言葉がピッタリ)取材担当者が頭良さそうな人だったので、稲田教官は少しひるんでしまった。普通、雑誌系の取材のときはライタ-さんがカセットに会話を録音して、後にテ-プを聞きながら原稿を書くらしいのだが、新聞社の人は速記でノ-トにメモをとっていた。恐るべし...。(発売された新聞みたら、稲田教官ったらメチャアホ面してた。)

98年10月31日。今日はテレビ朝日で、昼間の番組(番組名忘れた)の収録。局の玄関を入ると、その日の番組に出演するタレントの楽屋案内が貼ってあるのだが、スタ-達の名に並んでI.N.A.の文字発見!『かっこい~!芸能人みてぇ。』稲田教官も出世したもんだ。そして、収録をしたスタジオはテレビ朝日内にある音楽用レコ-ディングスタジオなのだが、そこはその昔、稲田教官がプロのプログラマ-になりたてのホヤホヤだった頃、とってもよく使ってたスタジオだったのだ。懐かしいと共にニガイ想い出が蘇る。稲田教官も若い頃は、訳わからん事で苦労したさ。職業ミュ-ジシャンの世界は、上下関係に厳しいのだ。あっ!.....という間に収録を終え、前日にブッキングされた渋谷スペイン坂のFM公開生放送へGO!。そこで稲田教官を待ち受けていたのは、『少年頭脳カトリ』だった。(『少年頭脳カトリ』ってのはSMAPの香取君が自分の番組でやってるコ-ナ-のかぶりものキャラで一日DJ修行にきてた。)本番5分前スタジオに入ると、かぶりもの香取君がマジ顔で『スイマセンこんなカッコで。実は僕hideさんのファンで、いつもカラオケで歌わさせてもらってます。発売されてないピンクスパイダ-とかのビデオも、初めて芸能界の力を使ってGETさせてもらいました。アルバム出たら買わせていただきます。』(お~~そうかい、そうかい。)それまで緊張してた稲田教官の態度が急にデカくなったのは、言うまでもないか。それにしても東京のラジオのテンポは早い早い...。

'98 10/30.31キャンペ-ンスケジュ-ル
資料なくした~。

Tribal Ja,Zoo キャンぺ-ン編 その1
NOTE:0003 1998/12/10
「キャンぺ-ン」:ア-ティストが自分の作品を宣伝する為、TV、ラジオ、雑誌等のメディ アを使ったプロモ-ション活動のこと。(稲辞苑より)

『アルバム出たら、鬼のようにキャンペ-ンいれるよ。TV,RADIOなんでも出るから。熱湯コマ-シャル出てもいいよ。』98年4月下旬、hideと宣伝担当者の間で、こんな会話がかわされたという。しか~~~し!!そのキャンペ-ンを回ったのは、歌を歌わぬカナリア、言葉を話さぬオウムさんと呼ばれた稲田教官だったのだ。この恐ろしいキャンペ-ンの序章は、hide with spread beaverツア-リハ-サルの時から始まっていた。連日気合いの入ったリハ-サルを行う怪人達。その怪人達がスタジオに集まる前から、稲田教官は早出をして雑誌、新聞等の取材をこなしていたのだ。「だいたいおんなじ質問 そいで  まあまあ それなりOK...?」ってな感じで。

そして時は流れ、赤坂BLITZでのフライトも無事終えた翌日10/28から、キャンペ-ン地獄はスタ-トした。しゃべりに関しては、まったくのシロ-トといってもいいほどの稲田教官が、多い時には1日10数本のラジオに出演するというのは試練以外のなにものでもなかった。「hideがやると言ってた事は、全部やる!」と言ってしまった自分が憎い。だが、ここ大阪でのキャンペ-ンには心強いことにDIE王様とZeppet木村がいっしょなのだ。最初の予定では、稲田教官一人でのコメント録りが多かったのだが「せっかくみんないるんだから、いっしょに出てよ~。」って助けてもらったのでした。さらにこの日は、タワ-レコ-ド梅田店サテライトスタジオで公開生放送があったのだ。集まってくれた人たち、ありがとね!。DIE王様は、この生放送で失言をしてしまった。pataがTribal Ja,Zooツア-に参加することは当時秘密だったのに、『ほんとに今日は、みんな来てくれてありがとね。ここにいない、spread beaverのみんなもね、joeとかkaz,kiyoshi,それからchirolyn,pat.....(まずいぃ!)』とか言っちゃって真っ赤になって下むいてんの。とってもプリティ-でした。大阪でのすべての収録を終えて、『I.N.A.ちゃん今日一日でずいぶんしゃべりうまくなったね。』とのお言葉をDIE王様から頂いた稲田教官。

「人には押せば開く扉がある」という事を感じたそうです。その夜、宴の場では稲田教官の業界裏話でもりあがったのだ。とってもピュアなDIE王様にはショッキングなお話だったみたい。

10/28キャンペ-ンスケジュ-ル
「ぴあ」取材
FM802「SUNDAY MUSIC MARCKET」
FM大阪「Jay-LandShuffle Extra」
FM大阪「Jay-LandShuffle」公開生
FM大阪「ASAREN5」
FM大阪「EZM」
「Lマガジン」取材

I.N.A.ちゃん日記 最新バ-ジョン!!
NOTE:0003 1998/12/07
涙あり笑いありの感動の"1998 Tribal Ja,Zoo"ツア-も無事終了し、I.N.A.ちゃん日記を更新する為の時間がつくれるようになりました。まずは、この『前代未聞』のツア-を応援してくれたhide with spread beaver のファンのみなさん....『どうもありがとう!』感謝の気持ちでいっぱいです。そして、スタッフのみなさん、spread beaver、pataちゃん、DJ MONちゃん、ZEPPET STORE、TRANSTIC NERVE、全国の飲み屋のマスタ-、そして、そして、松本秀人君よ...ありがとう!!!。

突然ですが、『I.N.A.ちゃん日記』は次回から、<Trival Ja,Zooキャンペ-ン編>&<hide with I.N.A.in LA編>に突入します。.....って今、決めました。